敬老の日のはじまりは
「老人を大切にしお年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」
ということで農閑期にはじめられたらしい。
敬老の日の2日前、17日は大用の
保育園小学校中学校地域合同の「むらの運動会」でした。
この運動会の私的ハイライトは何と言っても
「縄ないリレー」。
毎年「今年の競技に提供してくださった稲藁は◯◯さんの・・・」
とアナウンスが入り、毎年この競技だけは外せないという
「花形プレーヤー」が集結する。
ひとり一分で縄をない次の人に交代して最終的に
いちばん長くできたチームの勝利というルール。
こどもたちも毎年のことでそれを知っているから
期待の眼差しで開始の合図を待つ。
「よーい・・・・パーン!!!」
「おー、◯◯さん早ぇーー!!」
(ここで特筆すべきなのは、こどもたちは
「◯◯くんのお母さん」や「◯◯ちゃんのおばあちゃん」と呼ばない。
こどもとおとなが個人としての関係が成り立っている、ということだ)
おばあさんたちの縄ないの手つきの鮮やかなことといったら!!
若手もそれなりに頑張っている(人もいる)けれどその差は圧倒的だ。
私は去年はこのリレーに参加したけれど今年は怖じ気づいて辞退してしまった。
でも見ていて「来年までに練習して参加しよう。」と思った。
お母さん、お祖母さん、脈々と継がれていく暮らしの呼吸、
「伝統」と呼ぶには大袈裟かもしれないけれど
それを軽んじてしまったがために戦後の3代をかけて
これまで長い間受け継いできた「土台」を崩してしまった、という話。
私の母は6歳頃のときに母(つまり私のおばあさん)を亡くした。
おじいさんは皮靴を再利用したランドセル、和紙の箱の引き出し、
何でも作る人だったと聞くけれど
(何でも作ってしまい買って貰えなかったことが母は嫌で嫌で仕方なかったそうだ)
小さな頃に抱っこされたことがあるらしいが記憶には残っていない。
そんなわけで世代間リレーができなかった私は運動会での
お祖父さんお祖母さんの活躍を応援するこどもたちをみて羨ましく思う。
「むら」というのは豊かだなぁ。
でも意識して受け取っていかないとだんだん消えていってしまう
今、瀬戸際のように感じる。
毎年、運動会でこの豊かさと儚さを眩しく感じさせて頂いております。
鮮やかな縄ないの手さばきを目に焼き付けて、
私も次に伝えられるように修行しよ。
もうひとつの私的運動会ハイライト
この曲が流れると思わずプレイヤーの気持ちになってむずむず(ブラスバントあがり)。
生演奏付き運動会できたらさらに盛り上がるなぁ。