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golden green week

パン・パカ・パン!

昨日まで蕾だった芍薬がひらいて
我が家のgolden "green" weekのはじまり。

 

 

今年は田んぼを悩みました。

前の日には
「今年はちょっと考えなくちゃいけないことが多いから田んぼやめよう」
と家族会議で決めたのに
次の日の朝
「やっぱり・・・」
「だよね。やろう!」
やはり、田んぼは歓び以外の何者でもなく。
這々の体であろうが何だろうがやりたいのです。

 

 

蛙たちは夜な夜な愛の大合唱

鳥も蜂も子を育てるための家探しに忙しそうです。
家の前に設置した巣箱には毎日鳥が出入りして
(人の気配が強すぎていまいち決め手に欠ける物件の為、
内見は多いけれど入居者まだ決まらず)

スズメバチも毎日巡回。

安心して子育てできる場所を探す親の心。
私たちも似たようなものだなぁ、と思ってそれらを眺めています。
子と、大人と、どちらもがのびのびと居られるにはどうしたらよいか?
いろいろな矛盾がお互いを引っ張りあって
今、そのテンションは最高潮に達しているような我が家です。
絡まりあってぴんぴんに張った糸が切れてしまう前に
ほろりと解ける着地点を探しています。

 

 

なんて書いてはいますが、皆元気です。
憂うことにエネルギーを使ってしまう前に
足元の、黄金に輝く緑をひろげる作業をたんたんと。

 

私たちは火を使う

この暮らしは、冬は遅い時間に家に帰りたくない。

でもやむを得ない事情でとっぷりと日が暮れてから家路につくことがある。
そんな時の我が家のチームプレイは、ちょっと凄い。
家に着いて車がバックして駐車スペースに入りこんでいく間、
銘々が自分のポジションですべきことをシミュレーションしている。
そして車が停まると、皆それぞれの持ち場へ。
皆、無言。もくもくと。
父、暖房のストーブ点火、
私、調理用の炭点火、
子、風呂の釜点火。
あちこちで煙が立ち上がる。
のろしのように。
にんげんだー!にんげんがかえってきたぞー!
にわかにざわめく気配に留守宅でのうのうとくつろいでいた
「何か」たちが慌てて身を潜める。
私たちは火を使う、人間。
他の生き物たちと程よい関係でいられる火の量は
どれくらいなのだろう。

火の季節

火の季節がはじまりました。

年がら年中火を焚いている我が家ですが

やっぱり寒くなってからの火は格別。

手仕事市ありがとうございました。

四万十手仕事市ありがとうございました。

私は奥の奥の方でわたわたとしていて
来て頂いた方とろくに話もできませんでしたが
そとをぶらぶらした父ちゃんと息子から
あの人や、あの人やこの人やに会ったよ、と
賑わいの様子を聞きました。
ずいぶんとお待たせしてしまったり至らない点多々あり
反省することしきりです。
気長にお付き合いくださり本当にありがとうございます。

さて、今回をもちまして暫く出店の予定はありません。
しばらくは充実した畑を目指して
(稲刈りもまだだし!)野良に励みます。

それにしても今年のパクチーの発芽率の悪さときたら。
3度目の蒔き直し、エンドウやにんにく、
蕎麦(毎年好例年越しそばの為だけの少量の蕎麦)の
種まきもそろそろしなくては。
我が家の暖房の要「ロケットマスヒーター」の
煙道の掃除もまだなのです。
いつまで続くんだ、とずるずる長引いた夏の余韻もいよいよなくなって
急に寒くなってきました。
冬支度、冬支度。

※写真は昨日の手仕事に触発されたのか
おもむろに木彫りを始める、の図。
「こけし」をつくっているそうです。

人のフリみて・・・

長い長い助手席人生でしたが
今、自動車の運転免許取得の為学校に通っています。
我ながら目も当てられぬほどの鈍くささで
世の免許保有者は素知らぬ顔でこのスピード感を体内に取り入れていたのか、と
既知の(はずだった)あの人やあの人やあの人を思い浮かべては
今さらながら驚いているところです。

 

毎日落ち込むんですが(涙もこぼれました)
ある面ですごく客観的になっている自分がいて
いろんな先生の教え方を体験する中で
得たい結果の為の効果的な伝え方について比較・検証
興味深く考えさせてもらっています。

 

ちょっと前に息子に筆算の仕方を教えていたのですが
「うまくできること」と「うまく教えること」は全く違うということを
つくづく感じる結果に終わりました。
(楽器の演奏とかでも同じことが言えそうです)
答えが違うというのは「目の前の現象」に過ぎず
わからない人が何につまづいてそういう結果になっているのか
ではどうすれば双方が得たい結果が得られるのか
既にわかっている人にはそこに至る理由への想像力が凄く必要になってきます。
目の前の現象に対しての反応
(「違う」とか「そうじゃない」とか)だけでは当然だめだし
既にわかっている人のやり方をその人の言葉で伝えるだけでもだめ。
それで最終的に「なんでわからないんだー!」となったらもう終了
できない人は理不尽にぶつけられた感情で冷静さを失い
ますます得たい結果は遠ざかるばかりです。
わからないのはお互い様なんですよね。

 

・・・とかつべこべ言っていると
あまり理屈っぽい所にこだわる人は試験におちるよ、と
とうちゃんに言われました。
ごもっとも。
早く卒業したいなぁ。

 

※写真は春、姪っ子三輪車に乗るの図。
 誰にでも、何にでも、「はじめて」のときがあるのだ。

トムプロジェクト発足

「山のトムさん」を観た(過去にwowowでやってたドラマらしい)。
くまのプーさんなどの翻訳やたくさんの絵本、児童文学を書いた
石井桃子さんの自伝的物語。

 

畑でとれたキャベツでロールキャベルの夕餉、
同居人の友人トキさんが焼くお菓子で畑を眺めながら縁側でお茶、
そうね、卵が食べられるように鶏も飼いましょう、
山羊もいいわね!お乳がとれてチーズが作れるわ! 
桃子さんのお話さながらのおとぎ話のような田舎暮らしを
食い入るように観るリアル田舎チーム。
時折たまらず野次がとぶ。
「ほんとだったら今そこ通り過ぎるときぜった麦の4株くらいは
つまみ食いしただろう!それでも山羊か!」
「あー、2匹そんなに近くに繋いだらぐるぐるまきになっちゃうよ・・・」
「はじまってから一日も雨ふってないぜ」
感想はだんだん憧れに変わる。
「あーこんな田舎ぐらしがしたいなぁ!」
「山羊を飼って鶏を飼って猫を飼って野菜を育てて羽釜でご飯たきたいなぁ!」
「かあちゃん、それぜんぶやってるよー」
この違いは何か。
この優雅さと、かたやぼろ雑巾のような違いは。

 

桃子さんは戦後の食糧難の時代、宮城の田舎へ住まいを移し
開墾し動物を飼い畑をしながら暮らしていたらしい。
実際はもっともっと大変だったろうと思うのだけれど
映画を観ていて、その穏やかさに突っ込み所満載だった。
いろいろな想いが去来する、面白い映画でした。

 

次のあさ、とうちゃんが「トムプロジェクト」とつぶやきながら
家の前の草を引いている。
田舎暮らしを素敵な感じにするための一歩、まずは掃除から、だそうだ。
最終的には息子と2人で
「やったぜ!10トムトムゲット!」と引いた草の大きさや
成し遂げた仕事の種類でポイントがゲットできるゲームのようになっていた。

 

その後はみんなで大根を蒔くための畝を整える。
茅だらけの畑からひたすら茅を引きながら、石が出てきたら下の川に投げながら。
5年目の畑、まだまだ開墾の途中なんである。

 

トムは1日にしてならず。

「薫製」くん2号機

初代「薫製」くんからだいぶバージョンアップ。

絵本の本箱にしていたワイン箱を使って2号機作成。

先日の猪を薫製します。

 

拾っておいた桜の木がだいぶ乾燥していて

煙らないで燃えてしまうのでしばらく水につけておいて

焼いた炭の上にのっけます。

 

 

火の番は俺に任せろ。

 

うすうす気づいてはいたんだけれど、やっぱり塩抜きの時間が長過ぎた。

(草刈りに熱中していたらうっかり1時間オーバー)

でも薫製具合は上々!

 

むらの運動会に敬老を思う

敬老の日のはじまりは
「老人を大切にしお年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」
ということで農閑期にはじめられたらしい。

 

敬老の日の2日前、17日は大用の
保育園小学校中学校地域合同の「むらの運動会」でした。
この運動会の私的ハイライトは何と言っても
「縄ないリレー」。
毎年「今年の競技に提供してくださった稲藁は◯◯さんの・・・」
とアナウンスが入り、毎年この競技だけは外せないという
「花形プレーヤー」が集結する。
ひとり一分で縄をない次の人に交代して最終的に
いちばん長くできたチームの勝利というルール。
こどもたちも毎年のことでそれを知っているから
期待の眼差しで開始の合図を待つ。
「よーい・・・・パーン!!!」
「おー、◯◯さん早ぇーー!!」
(ここで特筆すべきなのは、こどもたちは
「◯◯くんのお母さん」や「◯◯ちゃんのおばあちゃん」と呼ばない。
こどもとおとなが個人としての関係が成り立っている、ということだ)
おばあさんたちの縄ないの手つきの鮮やかなことといったら!!
若手もそれなりに頑張っている(人もいる)けれどその差は圧倒的だ。
私は去年はこのリレーに参加したけれど今年は怖じ気づいて辞退してしまった。
でも見ていて「来年までに練習して参加しよう。」と思った。

 

先日「家を出る日のために」という本を読んだ。
お母さん、お祖母さん、脈々と継がれていく暮らしの呼吸、
「伝統」と呼ぶには大袈裟かもしれないけれど
それを軽んじてしまったがために戦後の3代をかけて
これまで長い間受け継いできた「土台」を崩してしまった、という話。

 

私の母は6歳頃のときに母(つまり私のおばあさん)を亡くした。
おじいさんは皮靴を再利用したランドセル、和紙の箱の引き出し、
何でも作る人だったと聞くけれど
(何でも作ってしまい買って貰えなかったことが母は嫌で嫌で仕方なかったそうだ)
小さな頃に抱っこされたことがあるらしいが記憶には残っていない。
そんなわけで世代間リレーができなかった私は運動会での
お祖父さんお祖母さんの活躍を応援するこどもたちをみて羨ましく思う。
「むら」というのは豊かだなぁ。
でも意識して受け取っていかないとだんだん消えていってしまう
今、瀬戸際のように感じる。
毎年、運動会でこの豊かさと儚さを眩しく感じさせて頂いております。
鮮やかな縄ないの手さばきを目に焼き付けて、
私も次に伝えられるように修行しよ。

 

もうひとつの私的運動会ハイライト
この曲が流れると思わずプレイヤーの気持ちになってむずむず(ブラスバントあがり)。
生演奏付き運動会できたらさらに盛り上がるなぁ。

 

狩猟採集生活

学校の帰り道に近所のおじさんからころっころの栗をもらって
ポケットをごろっごろにして帰ってきたこどもたち。
さっそく炭を熾し沢水の入った鍋をかけて栗を茹でる。
ほくほくの茹で栗が、今日のおやつ。

 

「いらんかい?」と連絡をもらってとんでいく。
ひとつで1歳児くらいの重量のある猪の足2本。
大きな骨と身をわけて、骨はまとめて大きな釜で茹でて
犬のおやつに。
近くの海で作られた塩と家の前に生えてる月桂樹の葉っぱをもいで
切り分けた身にすり込んで塩漬けに。
山に行って折れて落ちてる桜の枝を見つけてきてとってあるので
それで燻してベーコンをつくる。

 

昨日は子とむかご採り。
まるで宝探し、大人も夢中に(ムキに)なるくらい。
ここのがこんなに太っていたら、お茶畑のむかごもそろそろなはずだから
今度蚊の少ない時間に見に行ってみよう。

 

 

むかご弁当を持って今朝父ちゃんは伊方町へ行った。

木の実をとること、山の木の実をたくさん食べて育った野性の獣を食べること
そこの木を燃やすこと、そこの水を飲むこと、海から塩をとること。
原子力発電所で事故が起きたら、全てできなくなることだ。

丸い虹

「ゆめを見たら そこへ歩いていってしまう

私たちはできる 歩くことが
あきらめないで ゆめを見よう」

 

私たちが四国へ引っ越すとき

高江のトゥータンヤーで唄ってくれました。
こどもとおとなが入り交じった
狼と7匹の子やぎの劇は面白かったな。
今、その歌詞の書かれた手紙は
四万十の我が家に貼られています。
私たちはできる
あきらめないで

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